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mardi 22 mars 2011

Prions pour que les dieux nous benissent/ある私的なシャシンの思索

SMC-F 100mm F2.8 macro, Pentax k-x


核汚染が無事制御できますように

je veux ca

写真を撮る手順は覚えた(覚えなおした?)。ネガならば露出計なしでもおおよそ外さないようになった。キレイに写れば勿論うれしい。高級な舶来ものには興味が持てない。ラフな実用に耐えぬ工芸品も不要。自分の(カメラの)好みもわかってきた。ベッサも格好いいとは思うけどむやみに手は広げられない。さて。

何を撮るかと云うこと。何を撮ればいいのか。表現したいものを撮れなどと皆云うけれど。そもそも僕は何を表現したいのか。いまこの時期この御時節に。否、そもそも表現したいものとは探さねばならない様なものか。選ばねばならない様なものか。

スタイル。ヒト生来の自然な生活に撮影という行為がない以上、写し残すと云う二次的な行為には、なにかしら恣意的な、わざとらしさ、あざとさの影が付きまとう。聞き手にウケること、心地よく響くことのみを意識した言葉に、重みや信念が伴わないように。

恣意を嫌い、そして恣意を嫌うことを嫌う。長い旅行をこの上なく愛し、ちょっとした遠出も愛し、街を愛し、日常を愛し、日常のヒトの営みを愛おしむ僕としてはですね、これはもう。この大変なこの今にそれでも。旅を撮り、街を撮り、日常の人々を撮り続けることだけがこの何というか本来あるべき僕の、思索の産物としてのシャシンになるのだろうとまあこのように。

je crois cela

核汚染が無事制御されますように。
この困難を乗り越え、皆の顔にまた明るい笑顔がもどりますよう。

SMC-F 100mm F2.8 macro, Pentax k-x

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