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samedi 27 août 2011

デジタルはaps/cで往くが宜し<2>

(または行動する哲学としての写真撮影に関する私的な考察の2)


それでも。たとえばペンタのフルサイズさえ出てくれれば(MZ-D,K-1?)昔のレンズ資産も活用できて、願ったり叶ったりで飛びつくかも、なのですが、影も形も無いものを思ってみても仕方がない、です。ここはもうやはり、デジタル撮像素子はフイルムとは全く別物なのだと割り切って、軽い機体、新しい技術、そして新しい画角のaps/cで往くが宜しいのかと。デジカメ本体と比ぶるに、銘レンズの値落ちは意外に緩やかです。フルサイズ用に準備した予算の余りは(そんなものが有ったとして)レンズ群に当てるのがクレバーってものかとしばらくは思ってみることにして。例えばD3Sに安レンズを喜々として振り回すか、K-5FA limited DA*なんかを揃えて悦に入るか、これはこれで幸せな悩みでもあり。
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閑話休題。私的体験的な画角の話。自己の内面にじっくり向かう、なんていう状況には(歯が浮きそうですが)超広角や超望遠なんてのはちょっと似合わないと、そう思います。夜明け前の森の野生動物や、動きの早い猛禽類の撮影なんかにも、写真表現者として無論あこがれても見るのですが、憧れる自分の構造のどうもどこかに無理があり、そもそも連写で写真を撮るスタイルが好きになれず。記録や挑戦ではなく、撮影競技でもなく。ただ、哲学的行為としてのシャシン撮影には67換算で75、105、165の3本がもう全く僕の全ての世界を捉えるに充分かと。自己に向かい、世界に向かう、です。
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35mmならオーソドックスに35,50,80あたりになるのでしょう。高級単焦点 FA31, FA77か。APS/Cなら24, 35, 55なのでDA21, DA*55のラインか。レンズキットの1855設定、なるほどなあ(ズームは嫌だなんて言わなければ)ほんとはもうはじめから何も要らないのかと、反省。銀塩とレンズを共用、とか銀塩時代の質感を捨てられないから、aps/cの良さを引き出せていないのかも、というのが正直最近の自分への反省で。プラカメ、プラレンズが粗悪品だった時代の感覚は潔く捨てて、軽くて高性能なaps/c専用設計のレンズで、軽い機体、新しい技術、そして新しい画角で。初心に戻って撮りたい画を撮りに往かねばと。シャシンを撮りに往かねばと。青年よ書を捨てよ、古きも捨てて町へ出よう、ですね。Gott sei Dank.


と云うわけで表題、デジタルはaps/cで往くが宜し、です。


(デジタルはaps/cで往くが宜し、または行動する哲学としての写真撮影に関する私的な考察 了)

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